五月最初のお茶の稽古日。
鷹ヶ峰の山肌に初夏の風が吹き渡り、稽古場の窓から眺める木々の緑の美しさは、市中に住まう私にとって別世界です。
炉から風炉になり、掛物は菖蒲馬。鯉耳薄端花入に菖蒲。替茶碗も馬。
お菓子は「五日を過ぎると粽はなかなか拵えていただけなくて・・・」と朝鮮唐津柏高坏に盛られた柏餅をご用意いただいておりました。
お茶も点て終わり、少しだけ緊張も緩んだ頃、節句の話題になりました。
皆様のそれぞれのお家の様子のお話に、亭主を務めながら、私共の家の節句を思い出しておりました。
私の父、京都ひさご寿しの初代店主は三人の女子を授かりました。長女の私に、父にとっての初めての、そして翌年には二人目の孫と、共に男子に恵まれました時のことです。
シャイで無口な父の喜びの度合いは、節句の準備で推し測ることが出来ました。室内の立派な御飾りと特大の鯉幟を求めてきたことで。
町中の我が家に鯉幟の為だけの支柱を建てるスペースなどあろうはずもなく、大屋根の上の物干し台の柱にとりつけました。広いお庭の真ん中で風に泳ぐ鯉なら絵になるのですが、風の強い日にはバタバタという音響とともに物干し台ごと飛ばされそうな勢いに、父には申し訳なかったのですが早々に退場となりました。
お茶の稽古場のしつらえは、50年近い昔のそんな事を鮮やかに思い起こさせてくれました。
父が昭和57年に67歳で没した時、子供達は漸く9歳、8歳とそして5歳で、「おじいちゃんの記憶って残ってないなあ」と申しております。当時の父の孫達誕生への喜びと、彼等へ抱いた希望を伝える事も、私の役目かなと思っています。