東山七条の京都国立博物館にて「京(みやこ)のかたな」展が始まりました。社長は既に見て来たとの事で、出品目録兼解説書を見せてくれました。刀そのものには知識など無くて門外漢なのですが、それでも翌日には博物館の「国宝 太刀 銘 三条(名物三日月宗近)」の前に図録を手にして立っておりました。


能楽「小鍛冶」は好きな演目です。
一条天皇は或る夜の霊夢により、橘道成を勅使として三条小鍛冶宗近に御剣を打つことを命じられる。宗近はそのような御剣を打ち奉る為には自分に劣らぬ程の技量の相槌が必要であるが、そのような人も無く・・・とあらすじは省略しますが、シテは童子、後の稲荷明神。三条宗近はワキです。そして遠くても歴史上の実在の人物なのに、物語の人のように感じていました。文楽の「小鍛冶」にいたってはラストの「また叢雲に飛び乗りて東山、稲荷の峯にぞ帰りける。」で、文楽人形なればこそ、稲荷明神は虚空を蹴って天高く消えたのです。
「小鍛冶」で完成した御剣の小狐丸ではありませんが、正に平安の時代に宗近が打った刀が眼前に国宝として存在している事に震える思いがしました。

話は少し、それてしまって祇園祭りに関することです。
毎年7月17日の前祭の先頭を行く長刀鉾の鉾頭、そのすぐ下の天王座に「和泉小次郎親衡」がおられます。ほぼ25センチ程の木彫りの守護神で、右手に長刀、左の肩に小舟を担ぎ、右足から今駆け抜けようという雰囲気のある、動きのあるものです。鎌倉時代の実在の人物で、宗近の打った長刀で活躍した源氏の武将との事。
いつも、四条から辻回しをして店の前を、鬮取らずの長刀鉾が巡行される時、鉾のてっぺんと見えるはずのない親衡像を見上げます。余程の望遠レンズでもなければ、見る事は到底不可能です。
ところが、たまたま現行の親衡像を製作された御所人形司の伊東氏の展覧会で、その親衡像と先々代が製作された親衡像と二体並んだところを、真近で拝見する機会に恵まれました。
とにかく素敵なのです。カッコイイのです。永年の念願が思いがけなく今年、叶ったのです。


この「京のかたな」展で驚いた事がもう一つあります。
この長刀鉾の大長刀が二口出展されていたのです。鉾頭の為に1522年製造されたものと1675年に作られたものとです。その後者の大長刀の根本のところに「銘 和泉守 藤原来金道」と刻んでありました。「和泉」繋がりが判って思わず、ガッテン。
あまりにも嬉しくて友人に会えば、この話をしています。もうじき「もう、これで5度目よ」とうんざりされそうです。

 

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