年も改まり初商いの二日から開けさせて戴いております。幾つかのアクシデントはありましたが、どれも大事に至らずに中旬に入りホッとしています。「相変わりませず・・」という言葉の重みを改めてかみしめております。
さて今年も節分が近づいてまいりました。早くも出入りの海苔屋さんなどから今年の恵方の入った広告用のチラシやポスターをそれぞれのお店が頂戴しているところです。
「節分の夜、恵方(本年は南南東)に向かって無言で家族そろって巻寿しを丸かぶりすると必ずその年は幸運が回ってくると昔から言い伝えられています。平成三十年節分、ひさご寿し店主敬白」という巻寿しに添える手前共のレッテルの発注も済ませました。


節分のこの風習はいつ、どこから、と時折尋ねられますが、わかりません。
2018年1月15日発行の京都府寿司生活衛生同業組合、京都寿司新聞の記事によりますと、「・・・起源・発祥は定かではない。説として以下のものがある。江戸時代終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いでこの習慣が始まったとする説。江戸時代末期から明治時代初期、大阪の商人(船場の商人とする資料もあり)による祈願事とする説。・・・・」と続いていますが、中には、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し・・・に至っては、板海苔の誕生は江戸時代であることから、この説の根拠の乏しさも指摘されているとなっています。
大阪の海苔組合さん、或いは海苔屋さんが恵方を印刷された節分のチラシが、私の記憶の中では古いものです。中年の男女二名が描かれていたと思います。男性は和服の上にマントと中折れ帽子。女性は日本髪に勿論和服。羽織に肩掛けだったでしょうか。おかっぱ頭の和服の女児も描かれていたかも知れません。屋内ではなく、屋外の設定は確かで、厄除祈願の行き帰りかと思われるものでした。
現在のように可愛い笑顔の赤鬼さんやお福さんのイラストではなく人物というところが、今から思えば、その頃でも既に印象的だったのだと思います。昭和三十三、四年位でもそのチラシだったように思います。その頃は、まだ「はい、承知いたしました。巻寿しを切らずにお包みします。」という風に、お客様からご注文を受けながらでした。一般的に節分のお化けの風習は無くなっていると思いますが、花街ではしっかりと続いていると聞き及びますし、丸かぶりの風習も幾つかの花街への徒歩圏内である私共の店でも、続けて下さっているのやなあと感じることもあります。
「切らんといてや。」とおっしゃるお客様には、流石に巻海苔では流石に噛み切れないのではと、焼海苔で巻きましょか、と確認している内に「三つ葉もこのままではアカンのと違う?」という事になり、定番の巻寿しとは別に、具材なども考え、焼海苔で丸かぶりしやすく巻いた「幸運巻」というものを節分当日のみの商品としております。その内に焼海苔でも噛み切りにくいというお客様もおられて、錦糸玉子にする玉子を海苔の代わりに巻きましょうかということになりました。鬼の焼印でも押したらカッコイイかもということで「鬼巻」というものも出来て今に至っております。


写真は昨年2017年の写真です。常は組合のお役などに時間をとられ、滅多に板場や調理場に立たなくなっております今年74歳になる会長も、この日だけは例年通り炊飯担当で頑張ってくれる予定です。又社長の1歳違いの弟君も夜中から、彼のお店の開店前迄、「勿論今年も、巻きに行きまっせ!」と言ってくれております。
ひさご寿しから巣立ってそれぞれのお店で頑張っている人達のうちの何人かも、巻きに来てくれるのは有難いですし、年に一度逢えるのは、とても嬉しいです。さあ、今年も頑張ります。

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