前祭の17日の夕刻から24日夕刻迄の間、素戔嗚尊を始めとする神々は三基の神輿に遷られたまま四条の御旅所におられます。宮本組が供奉させていただいた御神宝も御側に整列しておりました。
この八日間はいわゆる無言詣りの期間でもあります。ネットで検索すると諸説ありとはありますが、四条大橋から御旅所の一日一往復を八回とその八回目は御旅所までのあと半分を加えるなど、頭がくらくらしそうな内容です。いつから、そんなにしんどいことになってるのかなと思います。
川端康成の「古都」の中ではもっとシンプルだったのが救いです。文中『千重子は御旅所の前へ行って、蝋燭をもとめ、火をともして、神の前にそなえた。・・・(略)・・・その御旅所で七度まいりをしているらしい娘を千重子は見つけた。うしろ姿だが、一目でそうとわかる。七度まいりというのは、御旅所の神前から、いくらか離れて行っては、また戻っておがみ、それを七たびくりかえすのである。そのあいだ、知り人に会っても、口をきいてはいけない。・・・(略)・・・娘は西へ行っては、御旅所へもどって来る。千重子は逆に、東へ歩いてはもどった。しかし、娘の方が千重子よりも、真心こめて、祈りも長い。・・・(略)・・・「姉の行方を知りとうて、あんた、姉さんや。神さまのお引き合せどす。」と娘の目に涙があふれた。たしかに、あの北山杉の村の娘であった。』
双子の姉妹として生まれ、離ればなれで育った千重子と苗子の出逢いの場面は何と宵山の夜の蝋燭が揺らめく御旅所の前です。印象的な設定やなあと本当に感心します。
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24日の後祭は10基の山鉾の巡行が行われました。150年ぶりに復興した大船鉾をしんがりに河原町を北から南へ進みます。夕刻からは神輿が市中を練った後、八坂神社に戻られました。
29日の神恩を感謝する神事済奉告祭をもって約1ヶ月近い今年の祇園祭も無事にその幕を下ろすこととなります。

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